2025年7月31日木曜日

41、2度C

 みなさーんお元気ですか-。私もなんとか生きてまーす(笑い)

熱中症がこわいので、朝起きるとすぐに庭の盆栽や草花に

水やりしまーす。朝がにがてな私も‥夏の間は早起きですよ。


この頃は雨が少なくって、心配ですね。

だから・・ちょっとでも降ったら・・・

バケツに水をためまーす。そして‥大事に大事に使ってまーす。


今日は散歩もせず‥家の中で過ごしました。だって兵庫県丹波市

では気温が41,2度Cまで上がったそうですよ。信じたくない

危険な気温ですよね。


8月に入ると・・椿 俊太郎君の祝賀会、川椿おさらい会などが

あるから・・もう・・タイヘン(笑い)


では・・マタネー・・・お元気でー・・・おやすみなさーい。


今日の稽古は‥全員が出席。伴奏者は尺八のE先生。はじめの合唱曲は

津軽木挽き唄・・。この唄はチョット短めに歌う。木挽きが板を曳くリズム。

そして・・澄んだ良く透る高音で唄うと情景が目に浮かぶ。


以前民謡大観で色んな曲の元唄を聴いたが、最初に歌われたのはまるで念仏

か叫び声のような唄。それだけに力強く、未完成ながら‥情景が目に浮かぶ。

今はキレイに、良い節で唄われている曲も‥元うたは素朴なものでした。


それにしても、1日中暑くて・・暑くて・・たいへんですね。

・・・千葉県松戸市などは良い方でーす。海に囲まれていますから。


皆さーん、民謡唄って・・いっしょにこの夏を乗り切って行きましょう。

ガンバー・・。


2025年7月30日水曜日

稔台

 

 今日も用事が有って稔台まで出かけた。行きはバスがなくって・タクシー

 で・・・。

 ウワー、楽ちん。今日は車が拾えて・・ラッキー。すぐに目的地に着いて

 しまったがもっと乗っていたかった(笑い)稔台は知り合いが沢山いて、お

 気に入りのお店もある町です。古い町並みですが、懐かしい思い出の町・・。

 新京成電鉄の五香、六実、八柱などの地名は開拓地だったと言います。

 稔台にお住まいの方で、静岡の富士市から入植されたかたがおりました。

 今から・・100年位前の開拓者の歴史デース。それでは・・また。

 

2025年7月28日月曜日

CICIBELLA

 36度5分・・・これって私たちの体温ですよね。室温は

29度にもなってしまう暑さ。クーラーかけていても暑い。

今日は用事頼まれて‥昼過ぎにバスでお出かけ。タクシ-

呼ぼうと電話為たけど・・スミマセン、いま車此のあたりに

おりません、とのこと。バスを待つこと10分・・。やっと

スーパーに到着。目的の物を購入して‥外に出る。タクシー

はヤッパ呼んでもダメ。

仕方なく・・バスを待って乗ることになったが、外の暑さは

ものすごく‥倒れそうになる。そして待つこと15分。やっと

来たバスに飛び乗った。


今日の収穫は‥CICIBELLAという首に巻く保冷剤を買ったこと。

家に帰って早速首に巻く。すごい冷感。皆様にもお勧めデース。

ヤレヤレ・・・ホツ。


2025年7月25日金曜日

民謡あれこれ

  

 子供のときから歌うことが好きでした。童謡、唱歌、歌謡曲・・などですけど。

 私の通ったI小学校では合同音楽と合同体操というのがあって、全校生徒が校庭や

 講堂に集合して、合唱や体育をやりました。あれはとても健康的で楽しかったで

 す。

 校風も良く・・いじめとかは、あまりなかったのではないかしら。

 民謡は知りませんでしたが‥盆踊り大会は盛んでしたので、、炭坑節や東京音頭

 や白浜音頭などは覚えました。これは良い風習ですね。

 

2025年7月24日木曜日

バラの花

 春に買ったバラが深紅でとても良く咲いてくれました。夏に植え替えるなんて、ないんです

けど‥この間庭の空いているところ探して植えちゃいました。

毎日水やって‥大事に大事に見守っていましたー。そしたら・・2,3日前に綺麗な花が

咲きましたー。たった1輪ですけどこの暑さにもめげず咲いてくれましたー。ホント・・

有り難う。よく咲いてくれましたね。

春に苗を買って植えた菊も元気に育ってますから、とっても楽しみでーす。

2025年7月23日水曜日

熱中症

  今日は日本中が猛烈な暑さでしたね。チョット油断したら・・家族が具合悪くなった。   急いで氷水を飲ませたり‥頭を冷やしたり‥大慌てでしたー。   私も以前なったことありましたー。お部屋を涼しくしたり‥身体を冷やしたり・・して、   やっと回復しましたが。すごくつらかったです。   千葉県は海もあるから・・まだ良い方です。前橋や山形では、最高気温が37度にもな   ったそうです。皆さん十分に気をつけて下さいね-。

2025年7月21日月曜日

松戸市1日文化祭

  9月23日(火)は松戸市1日文化祭です。今年も、川崎桂子唄うことになりました。伴奏者と曲目は   未定です。是非皆様お出かけください。入場無料ですし‥皆様のリクエストありましたら・・おしらせ   下さい。会場は松戸市民劇場ホールです。   23日は秋分の日。ご予定なかったら、民謡聴きにいらしてねー。

2025年7月20日日曜日

川椿おさらい会

     川椿おさらい会、発表会は・・やや・・50年間ずっと続いております。第1回から参加してますので ・・  歳もとって当たり前ですね(笑い)プロがこの間出てきました-。入門したてなのに・・秋田馬子唄を   唄っていました。怖い物知らずだったんですね。   やや50年毎回出演。その間に‥自分の会も休まず開催為てました。そして・・  何回目かに・民謡評論家の竹内勉先生がお見えになっていて、私の五島さのさを褒めていただき・・   すごく嬉しかったです。竹内先生は、地元の唄い方や‥民謡のルーツを大事にしろと常々言っておられまし た。

民謡が盛んになるにつれ‥原点を忘れてしまうような唄が多くなったのだと思います。  高くて‥美声ならコンクールでは有利ですが、元唄って素朴で、訛りがあって‥ときに・・聴き ずらいものです。

2025年7月18日金曜日

ゲロゲロ

       60年前には此のあたりのそこここに、水がわき出ていましたし、八原台は、16号線から入ってくると ・・・山の上なんですよ。21世紀森の公園には今も湧水が見られます。 平成元年頃に21世紀森の公園が着工しましたー・・。    

その頃我が家の庭には・・色んな生物がやってきました。ガマくんは住み着いていましたし、リス君や野ウサギ 、狸の家族もやってきました。スズメ、ハト、ウグイス、山鳥、キジなど鳥類もたくさんちかくの林や森に住んでいて、賑やかでしたー。    

この頃は、滅多にお目にかからなくって・・チョット寂しいデース。

2025年7月16日水曜日

暑さ負け

     連日の暑さに負けて・・少し声出しをさぼっていたよう・・です。今日はクーラー効かせて・・声出し頑張りましたー。   そしたら・・マアタイヘン。何時ものように声が出ません。暑さ負けもありますが、クーラーの影響で喉がやられている ・・  ようでしたーでも・・・   次第に・・何時もの高さで・・唄えるようになってきました・・。
歌手は声が命。もっと喉を労りましょう(笑)   

私たちの声のもとは吸った空気をはくことで・・出てきます。肺から出てきた空気がからだのあちこちにぶつかって ・・  ひびいたら・・声になるんでしたよね。


その身体はなるべく筋肉質の方が良い。その方が力強い・・。マア・・・ 理屈はこういうことでしたよね。  

 暑さにも寒さにも負けず・・丈夫な身体を持つて・・いつでも良い声で歌える・・そうゆう者に私はなりたい(あれ・・ ・ 宮沢賢治みたいになちゃったわ(笑)それでは・・みなさま・・クーラーには気を付けてね-。

ニューヨーク

     今から25年も前ですが・・私ニューヨークへ行ってきましたー。ハワイ旅行は行った事ありましたが  単身ニューヨークへ・・は初めて。どうしても行かなくてはならない事情があったから。  マンハッタンにつくと・・マア巨大なビルばかり。これがニューヨークなのかー、ってびくりするばかり。  お陰様で・・自由の女神像・・メトロポリタン美術館・・セントラルパーク・・カーネギーホール・・など  へ行ってきましたー。    ある方のお手伝いで行きましたから・・タクシーに乗ったり、一人でお買い物に行ったりもしましたー。  1ヶ月の滞在でしたから・・チョピリですが・・アメリカの良さを味わうことが出来ましたー。

2025年7月14日月曜日

       くさふかく        あれたるやどの ともしびの           かぜにきえぬは ほたるなりけり     蛍の飛ぶのをもう何年も見ていません。昔は蛍が家の周りにもたくさん飛んでいましたっけ。     千駄堀がまだ・・・田んぼだった頃・・・。

2025年7月11日金曜日

涼風

     昨日は強い雨が降って・・今日の朝庭に出ると・・冷たい風が心地よい。21世紀森の公園から強い風が   吹いてくる。台風が来ると・・困ってしまいますが・・今のシーズンなら強風もOK。      今年の梅雨は空梅雨でしたー。昔6月は・・毎日雨。シトシト・・シトシト・・家の中もじめじめ   してましたよねー。今思うと・・アレで良かった(笑い)あの頃は・・雨降りお月さん・・とか雨雨   降れ降れ・・とかの童謡を子供たちが歌ってました-(笑い)   みんなで・・省エネして・・地球をこれ以上暖めないようにしなくては、と反省為ています。今日は   窓から風を入れて・・チョット涼しくしてねまーす。皆さんも・・省エネして・・くださーい。なん   ちゃって・・・(笑い)   それでは・・・また・・。

2025年7月10日木曜日

津軽木挽き

      今日の合唱曲は津軽木挽き唄。山の中の冷たい空気を・・みんなで感じられたら・・いいな。そんな   事を思ってしまう程・・今日も暑かったです。    ハーアア  木挽きーよいもの      板さえひけばよ  (ハア  シャリコン)       ハーアア 刻みたばこに          ナンダーアア 米の飯ヨー        (ハア  シャリコン  シャリコン)

2025年7月4日金曜日

温暖化

このところ・・ニュースでは盛んに恐ろしい温暖化のことが流れている。以前もアフリカで数人の 人たちが・・歩いていたが気温が40度を超えたため・・バタバタと倒れて死に至ったと・・伝えられた。 私たち人間もかなり強靱に造られているけど・・体温を超えた外気にさらされたら・・倒れてしまいます よね。電気やガソリンなどのエネルギーを使いたいだけ使って・・寒さもいや・・暑いのもいや・・と 言っていると・・ばちが当たると思います。人類も他の生物たちのことも考えて、欲張りすぎず・・ ・もっと謙虚になってエネルギーの独り占めをやめなくてはっと思いました。 また・・昔のことを言うと笑われそうですが、子供の頃は寒くても火鉢か炬燵があるだけでした。11月 は本当に寒くて・・手がかじかんでしまう。あかぎれや・・しもやけで子供たちはいたいのや痒いのを・・ 我慢して・・・それでも・・みんな外遊び為ていました。少子化なんてなくて・・友達はいっぱいいました ー。子供の遊びは、もっと野性的でした。勿論いじめなんて、日常茶飯事。そこでみんな鍛えられたんです ね。 今年も真夏日がそこまで来ています。皆さんお体に気をつけて・・お元気でー。

2025年7月2日水曜日

合唱

       以前・・民謡合唱団コアラを立ち上げて・・大勢の方に民謡を広めておりました。     民謡にこだわらず、唱歌などもプログラムに入れておりましたので、盛況でしたヨ。          日本民謡はポピラーなものから歌っていきました。日本人なら誰もが知っているソーラン節・     斉太郎節、草津節、北海盆唄などから始めて行きました。     皆さんの要望に応えて・・歌謡曲、童謡なども歌うようになっていきましたヨ。歌謡曲の世界は     新曲がどんどん出てきますので・・私にとってはそれはそれはたいへんな事でした。     レッスン日は、まず体操。発声練習。それから・・唄いますので2時間は、充実為ておりました。     日本にコロナが上陸してきて・・合唱は出来なくなりました。     コロナが流行してなければ・・今もまだ続いていたかもしれません(笑い)

2025年7月1日火曜日

松戸節。

  最初松戸節を作ったとき・・節がもっと長かった。試行錯誤為ている内に・・だいぶ短くなってきた。   情緒的な曲をイメージ為ていたので・・難しいと思った。松戸節とはいえ・・自分の中では・・情緒的   な松戸、盆唄ではない松戸のイメージがあったのです。   2拍子で景気よく歌う曲でないとなると・・さてどんな曲なの。松戸の大会ではオープニングに松戸音頭   を歌います。島倉千代子さんの曲で、名所、名物が景気よく歌われています。   少し間延びしていたようなので・・節をつめていきました。そして・・高音部をより高くして・・低音部   を思い切って下げました。葦の風吹く納屋の河岸の箇所です。そしたら・・ずっと曲に深みがでてきた、と   思いました。   1番の江戸から6里は、日本橋のたもとから松戸の河岸までの距離なんです。東海道53次の起点です。   2番では高瀬舟を唄いました。米や塩などを積んで行き交う様子が描かれています。松戸市立博物館へ   行くと高瀬舟が展示されていますよ。   馬橋の万満寺も歴史ある立派な寺院で、やはり唄っております。歌詞は江戸見坂きて日も暮れかかる・・ 、   万満お寺の鐘を聞く、です。万満寺の前の坂は昔はもっと急で、八ヶ崎に入っていく辺りは江戸見坂   って呼ばれていたそうです。おもしろいことに・・江戸城が火事になったときに、小金の殿様が見舞いを   送ったとか、本に書かれていました。それほど良く見えたんですね。それでは・・又書きたいと思います。   GOOD NIGHT・・   

水やり

   子供のときから植物が大好きだった。父が植えた朝顔の花に水をやったりした思い出がある。    父は頑固な所があったが、私には優しい人だった。    趣味人のところがあり・・秋には・ススキや萩なども植えて、楽しんでいた。東京に出て・・    間もない頃の思い出ですが・・楽しいことばかりでなく、・・そこここに戦後の貧しさが    溢れておりました。    あちこちにバラックといわれた家があり・・戦争の傷跡がいっぱい。まだ・・防空壕に住んで    いる人さえおりました。    それでも・町には活気があり・・希望がいっぱい。強烈な思い出として友達の顔が、いまでも    くっきりと目に浮かびます。