2010年8月29日日曜日

危ない橋を渡る

この「民謡つれづれ草」の冒頭は、5年前の松戸市民会館での25周年記念発表会のできごとです。       

私の主宰する宮本会では、4年にいちどを目安に市内の大きな劇場で発表会を行うことになっていてこの25周年の前は平成13年、場所も同じ松戸市民会館で開催しました。

松戸市民会館はJR松戸駅から歩いて5分くらいでアクセスも良いし舞台周りの使い勝手もよく音響の点でも申し分ないのだが、なにせ収容館客数が1200席もあります。

ひとくちに1200席といっても、これをお客さまでいっぱいにするのは、プロが集って行う民謡ショーでもたいへんなことでまして、お弟子さん主体の発表会では半分もいけば大成功といえましょう。

宮本会でも、頑張り抜いたはずの平成13年はやっとlこ6~7割の入りで、関係者のみんさんは健闘を讃えてくれましたがそれから4年の間、「この次こそは満席にするぞー」と、私は内心でリベンジを誓っていました。

そこで、半年も前から宣伝用チラシを3000枚もまき、プログラムは席数の倍以上の2500部も配布し先着300名のお客様に進呈する川崎桂子自筆の色紙を用意したのです。

もちろん、プログラムの構成や演目への工夫にも、無い知恵を絞り抜きその止まらぬ闘争心と執念の行き着く先が、アラフォーならぬアラカン真っ只中の↓のドレス姿となってしまったわけです。


さて、今だからお話できる、そのドレス事件の内幕はというと。

舞台衣装は着物と決まっている私たち民謡歌手にとって、胸が大きくあき裾を長く引きずったドレスや先も見えないほど長いツケマツゲや、10㎝もあるハイヒールなど、気恥ずかしいだけでなく危なっかしくて、唄に集中できるかとても不安でした。

出番が近づいて舞台の袖に現われた私を見てビックリ、次に「あんた、誰よーッ!?」
と言いながら笑いこけたマサ子師匠の顔は、今でも忘れられません(笑)。

しかし、なにが起ころうと、なんと言われようと、ここまで来たらもう引き下がれない!
お客さまを一人でも多く呼び喜んでいただくために、考え抜い末に思いついた”恥を忍んだ自己犠牲の企画なんだぞー”

でも、この衣装を着ることは恥ずかしいので、お弟子さんにも誰にも知らせませんでした(大反対は目に見えている)。
知っているのは、貸衣装屋さんの往復を手伝ってくれた気の毒な主人だけでした。

「えッ?、ご主人が何か言いましたかって?」
ええ、言いましたよ「おまえ、舞台で転ぶなよ!」、それだけは何度も(笑)。

やらねばならぬ!
やらねばならぬ!

で、唄った曲は、唱歌「砂山」と美空ひばりさんの「川の流れのように」。
唄い終わってから、転ばずに無事に舞台の袖まで辿り着いたときの安堵感は、今でも憶えています。

まったくいい歳をして危ない橋を渡ったものです。
今思い出すと、ただ、汗、汗、汗(^^;;)

ところで、このように危険な賭けをしてまで満席にしようとする執念が稔って、延べ入場者数は1200をはるかに超え「すごいねー、こんなに入ったはの何年ぶりですよ、がんばりましたね、川崎さん」と、市民会館の舞台スタッフの方々にほめられました。

というわけで、民謡つれづれ草の第一章は、発表会にかける民謡会主のとんでもない執念のお話でした。
ホントに何をしでかすか、わかりませんね。

しかし、みなさんご安心下さい。
もうドレスだけは、絶対あり得ませんからね(笑)。

それでは、こんごともよろしく